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Loon`s Journey◆アメリカ NY出身 1975年生まれ
◆改宗前の名前 Chauncey Lamont Hawkins ◆現在の名前 Amir Junaid Muhadith P.ディディ率いる有名なレコードレーベルBadBoyRecordsの アーティストとして瞬く間にスターダムへ駆け上がったLoon. 人気絶頂にあった彼のイスラム教改宗のニュースは、米国 だけでなく、ヨーロッパ、アラブ諸国をはじめ、世界中の ニュース番組を駆け巡りました。 人気・名声・莫大な金・・・人が羨むもの全て手していたはずの Loonはイスラムに何を見いだしたのでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
[2つの異なる世界]
音楽業界に入って、P.ディディと一緒に非常に短い期間に世界をまたに駆け、いろいろな経験をしました。
世界中の、行ったこともないような国々の人々にまでファンを持った経験なども本当にものすごい事でしたが、ムスリムとなった今、アッラーが別の世界を私にお与え下さいました。あの頃とは全く違う、とても美しく平安な世界です。それがあの当時、音楽業界で生きていた自分が捜し求めていたものだったのです。
[加速する悪循環]
若いうちって言うのは、大体共通した欲望や誘惑されるようなものってありますよね。
音楽業界っていうのは、狙ったターゲットになる若者層のそうした欲求・心奪われるものをより刺激して、売り上げにつなげていくビジネス
です。
人気絶頂の頃に歌っていた私のラップは、自分のその頃のライフスタイルそのものをベースにしたものでした。
なので、曲内容は全くのでっちあげでもないし、ネガティブなものでもありませんでしたが、それらの曲は全てその当時の私の
『若者がちょっと憧れるような』乱れたライフスタイルをベースに作り上げられたものだったのです。
ですから、より売れる曲を作ろうとすれば、もっと乱れた生活を!・・・とエスカレートして行きました。それはどんどん『本来の自分』から
遠ざかり、心の平安からも何もかもから遠く遠く離れて行くようなもので、この業界に入る前の純粋な気持ちはもうすっかり失せてしまって
いました。
[華やかな虚像LOONの裏でのChaunceyの苦痛]
アメリカでのラッパーとしての成功は、外見、皆んなの憧れでしょう。100,000ドルもするような高級車に、たくさんのダイアモンドやら、
有名人の友達達やたくさんの美女たち・・・、と欲するものはなんでも金で手に入れられる生活だったんですから。それって、この世界ではパラダイスに見えるでしょうね。でも、そんな当時の私にも買えないものがあったのです。それは『心の平安』でした。なんでもかんでも買えるだけの富はあるのに、求めていた『平安』だけは買えなかったんです。あの頃の状況は、例えて言うなら、『悪性の病』を高い金で買い続けていたようなものです。その治療は無料だっていうのに。
私に何が起こっていたかというと、人気スターを作る為には、業界でターゲットになるファンが求めている虚像のキャラクターとイメージを
練り上げる。その作り上げた偶像にファンの人たちが熱狂するって仕掛けです。その虚像がまぎれもなく当時の自分でした。
でも、『本当の自分』を押さえ込んで、長く虚像を演じ続ければ、一体どうなるでしょう?そんなこと続ければ、皆、自己崩壊してしまう。
それにも関わらず、人気を保ち続けるためにその虚像のキャラクターとイメージで生き続けなければならなかったのです。それは非常に苦しいものでした。
そんな毎日の中で、「この苦しみから逃れる方法を見つけなきゃいけない!」と考え始めている自分がいました。
その為に当時、あらゆることを試したんですよ。本当にバカバカしいことからなんでもあらゆることを。
例えば、最新の高級車を買ってみたり、バカ高い貴金属を買いあさってみたり、海草とかなんとかわけの分からないいろいろなものを使って
5時間もかけるような高級スパに行ってみたり。
でも、そんな風に高級なものを買っても買っても、そのうち飽きるし、どんどん新しいものが出て、あっという間にその価値を失っていく。
で、また最新のものを買う、試す。また電話一本で、もとの生活に戻ってしまい、元の木阿弥だったり。その繰り返しは、ちょうどインフルエンザ対策でインフルエンザ注射するようなものです。悪に悪を投入するそのやり方では、『苦しみ』から逃れるための『平安』を得ることなんて出来ないのに。
音楽業界に入って、P.ディディと一緒に非常に短い期間に世界をまたに駆け、いろいろな経験をしました。
世界中の、行ったこともないような国々の人々にまでファンを持った経験なども本当にものすごい事でしたが、ムスリムとなった今、アッラーが別の世界を私にお与え下さいました。あの頃とは全く違う、とても美しく平安な世界です。それがあの当時、音楽業界で生きていた自分が捜し求めていたものだったのです。
[加速する悪循環]
若いうちって言うのは、大体共通した欲望や誘惑されるようなものってありますよね。
音楽業界っていうのは、狙ったターゲットになる若者層のそうした欲求・心奪われるものをより刺激して、売り上げにつなげていくビジネス
です。
人気絶頂の頃に歌っていた私のラップは、自分のその頃のライフスタイルそのものをベースにしたものでした。
なので、曲内容は全くのでっちあげでもないし、ネガティブなものでもありませんでしたが、それらの曲は全てその当時の私の
『若者がちょっと憧れるような』乱れたライフスタイルをベースに作り上げられたものだったのです。
ですから、より売れる曲を作ろうとすれば、もっと乱れた生活を!・・・とエスカレートして行きました。それはどんどん『本来の自分』から
遠ざかり、心の平安からも何もかもから遠く遠く離れて行くようなもので、この業界に入る前の純粋な気持ちはもうすっかり失せてしまって
いました。
[華やかな虚像LOONの裏でのChaunceyの苦痛]
アメリカでのラッパーとしての成功は、外見、皆んなの憧れでしょう。100,000ドルもするような高級車に、たくさんのダイアモンドやら、
有名人の友達達やたくさんの美女たち・・・、と欲するものはなんでも金で手に入れられる生活だったんですから。それって、この世界ではパラダイスに見えるでしょうね。でも、そんな当時の私にも買えないものがあったのです。それは『心の平安』でした。なんでもかんでも買えるだけの富はあるのに、求めていた『平安』だけは買えなかったんです。あの頃の状況は、例えて言うなら、『悪性の病』を高い金で買い続けていたようなものです。その治療は無料だっていうのに。
私に何が起こっていたかというと、人気スターを作る為には、業界でターゲットになるファンが求めている虚像のキャラクターとイメージを
練り上げる。その作り上げた偶像にファンの人たちが熱狂するって仕掛けです。その虚像がまぎれもなく当時の自分でした。
でも、『本当の自分』を押さえ込んで、長く虚像を演じ続ければ、一体どうなるでしょう?そんなこと続ければ、皆、自己崩壊してしまう。
それにも関わらず、人気を保ち続けるためにその虚像のキャラクターとイメージで生き続けなければならなかったのです。それは非常に苦しいものでした。
そんな毎日の中で、「この苦しみから逃れる方法を見つけなきゃいけない!」と考え始めている自分がいました。
その為に当時、あらゆることを試したんですよ。本当にバカバカしいことからなんでもあらゆることを。
例えば、最新の高級車を買ってみたり、バカ高い貴金属を買いあさってみたり、海草とかなんとかわけの分からないいろいろなものを使って
5時間もかけるような高級スパに行ってみたり。
でも、そんな風に高級なものを買っても買っても、そのうち飽きるし、どんどん新しいものが出て、あっという間にその価値を失っていく。
で、また最新のものを買う、試す。また電話一本で、もとの生活に戻ってしまい、元の木阿弥だったり。その繰り返しは、ちょうどインフルエンザ対策でインフルエンザ注射するようなものです。悪に悪を投入するそのやり方では、『苦しみ』から逃れるための『平安』を得ることなんて出来ないのに。
<※参考:アザーン(Fromトルコ)>
拝礼時刻を知らせる呼びかけ。内容は日本語Wikipedia『アザーン』の”アザーンの唱句”が詳しいです。こちらをクリックでどうぞ。 |
[ターニングポイント/信仰への扉]
ある年、カナダのレバノン人アーティストと曲を作る機会を得ました。 その曲は、アメリカではあまり売れませんでしたが、私が今まで存在すら知らなかったモスリム・マーケットへの活動の扉を開いてくれたのです。 オマーン、ドバイ、カザフスタン、西アフリカの国々など様々なイスラム諸国に出かけ仕事をしているうちに、イスラムへとどんどん向かっていく自分を感じ始めていました。 そんな頃でした。 ある町でアザーン(※左のの動画を参考)を耳にしたんです。 私の生涯で、あんなに美しい調べを聞いたことがことがありませんでした。アザーンがその町全体に降り注ぎ、町の人々は皆、手を止め、 店という店は閉まりました。それはアスル(午後の礼拝)を告げるアザーンだったのですが、日中に店を閉めるなんて、24時間営業が当たり前のNYから来た自分にはありえないことですから非常に驚きました。でも、それは全て唯一神アッラーのみへの揺るぎない信仰によるものと知りました。そして、それがどの国へ行っても全く同じことだと分かったのです。 全イスラム教徒にみる、その一貫性は他の宗教では見られません。 唯一神アッラーへの信仰と一貫性のある信仰実践。その出会いに涙さえ出ました。その一貫性ある信仰こそ、私がずっと捜し求めていた信仰だったからです。 |
[アラブでの衝撃]
その後、イスラムについての質問の答えを求めに奔走したり、本を読み漁ったり、イスラム教を学ぶのに熱中しました。
あれはアラブ首長国連邦に滞在中のことでした。滞在していたホテルから朝焼けを見たんです。見とれるほど美しい朝焼けでした。
その美しい朝焼けを見たとたん、メディアが作った偽りのイスラムのイメージがすっと消えていったんです。
メディアが伝えているイスラム教っていうのは、「本来のイスラム」の3%ほどしか報道してないだろうって思い始めました。だって、私自身がこの目で見たイスラムと彼らの言うイスラムは全く真逆でしたから。
ムスリムの、人を平等に扱い、他人へ親切する姿勢に驚くばかりでした。どこへ行っても誰かがお茶を勧めてくれたり、ナツメをくれたり、手助けを進んで申し出てくれたりしたんです。彼らは私が今まで付き合ってきたような自家ヨットやら豪華マンションやら高級ペントハウスを所有してるような大富豪では決してありません。明らかにずっと貧しい人々です。でも常に喜んで他人の私へ『与える』ことをしてくれました。でも、それは私からの見返りなど期待してのことでは全くなく、アッラーから与えられる『恩寵』の為だったのです。
こういうコンセプトは今までの自分にはないものでした。私自身も喜んで「与える」側の人間であったとは思います。成功の為に自己犠牲を払ったり、他人を成功に導いたり。でも、ムスリムと違うのは、それが相手からの『見返り』を見越してのことだったことです。
ですから、ムスリムのそうしたコンセプトから、親切にした相手からの見返りは重要ではなく、私自身を創って下さった方からのご恩寵を求めるべきなのだ、と言うことに気づかされました。アラブ諸国でのその経験は実に衝撃的でした。私は本当に感激して「モスリムになりたい!」と思ったのです。
[答えを求めて]
私は、祖母が40年以上も聖歌隊で活動していたぐらい敬虔なクリスチャンの家庭に生まれました。小さい頃から教会で学ぶべきとされる聖書の朗読から何からキリスト教に関わるあらゆることを厳格に学ばされて育ったのです。
しかし、いつしかキリスト教に疑問を抱くようになりました。どう祈るべきかとか、どうすべきかとか、キリスト教内での一貫性のなさに疑問を持つようになったのです。また子供の時分に「みんな、ジーザスを神と信じているのかな?彼が神さまなら、聖書に記されている「ジーザスが神に祈った」って節でジーザスは誰に祈ってるんだろう!?」って考えちゃったんですよ。難しい質問じゃないでしょう?神であるジーザスは一体誰に祈ってるんだ?って。アダムとイブの原罪についてもそう。なぜ、私が彼らの罪を被っていかなきゃいけないのか。非常に不条理にしか思えませんでした。私たちをお創りになったアッラーは慈悲深いお方です。だからこそ、キリスト教の説く原罪にどうも納得がいかなかったんです。
私は私の疑問への答えをキリスト教の中に捜し求めました。でも、いつも答えの道すら途切れて、どの答えにも辿り着くことは出来ませんでした。そこで、キリスト教内で探すのをやめて、答えを他で探し始めたんです。特別、『イスラム教』の中にその答えを探そうと思ってたわけではありませんでしたが、答えを求める過程で、自分でイスラム教にたどり着きました。そうして、アッラーの思し召しにより、イスラムに辿りつき、長年私の抱いていた全ての疑問の答えと平安をイスラムから得ることが出来たのです。
[改宗後のAmir /a.k.a.Loon]
アッラーが私の生活の全ての[ハラーム:アッラーより禁じられていること・もの]を取り去り、[ハラール:アッラーより許されていること・もの]と与えて下さいました。与えて頂いただけでなく、しっかり私は実践してます。自分の行動はもちろん、人々へは良い教えを説き、食べ物だってハラールの食品を食べています。ファンもそうです。同じ若者層ですがムスリムのブラザーズやシスターズです。だから私は今、生涯で一番たくさんの家族がいるんですよ!
ムスリムになって、アッラーが私を傷つけるようなものや場所、あらゆる危険を取り払って下さいました。
そのお陰で、私は現在、自由で平安に満ちた生活を送っています。
<Original:The Deen Show "Former Bad Boy Gone Good Boy" 2009/ ilm管理人日本語意訳>
その後、イスラムについての質問の答えを求めに奔走したり、本を読み漁ったり、イスラム教を学ぶのに熱中しました。
あれはアラブ首長国連邦に滞在中のことでした。滞在していたホテルから朝焼けを見たんです。見とれるほど美しい朝焼けでした。
その美しい朝焼けを見たとたん、メディアが作った偽りのイスラムのイメージがすっと消えていったんです。
メディアが伝えているイスラム教っていうのは、「本来のイスラム」の3%ほどしか報道してないだろうって思い始めました。だって、私自身がこの目で見たイスラムと彼らの言うイスラムは全く真逆でしたから。
ムスリムの、人を平等に扱い、他人へ親切する姿勢に驚くばかりでした。どこへ行っても誰かがお茶を勧めてくれたり、ナツメをくれたり、手助けを進んで申し出てくれたりしたんです。彼らは私が今まで付き合ってきたような自家ヨットやら豪華マンションやら高級ペントハウスを所有してるような大富豪では決してありません。明らかにずっと貧しい人々です。でも常に喜んで他人の私へ『与える』ことをしてくれました。でも、それは私からの見返りなど期待してのことでは全くなく、アッラーから与えられる『恩寵』の為だったのです。
こういうコンセプトは今までの自分にはないものでした。私自身も喜んで「与える」側の人間であったとは思います。成功の為に自己犠牲を払ったり、他人を成功に導いたり。でも、ムスリムと違うのは、それが相手からの『見返り』を見越してのことだったことです。
ですから、ムスリムのそうしたコンセプトから、親切にした相手からの見返りは重要ではなく、私自身を創って下さった方からのご恩寵を求めるべきなのだ、と言うことに気づかされました。アラブ諸国でのその経験は実に衝撃的でした。私は本当に感激して「モスリムになりたい!」と思ったのです。
[答えを求めて]
私は、祖母が40年以上も聖歌隊で活動していたぐらい敬虔なクリスチャンの家庭に生まれました。小さい頃から教会で学ぶべきとされる聖書の朗読から何からキリスト教に関わるあらゆることを厳格に学ばされて育ったのです。
しかし、いつしかキリスト教に疑問を抱くようになりました。どう祈るべきかとか、どうすべきかとか、キリスト教内での一貫性のなさに疑問を持つようになったのです。また子供の時分に「みんな、ジーザスを神と信じているのかな?彼が神さまなら、聖書に記されている「ジーザスが神に祈った」って節でジーザスは誰に祈ってるんだろう!?」って考えちゃったんですよ。難しい質問じゃないでしょう?神であるジーザスは一体誰に祈ってるんだ?って。アダムとイブの原罪についてもそう。なぜ、私が彼らの罪を被っていかなきゃいけないのか。非常に不条理にしか思えませんでした。私たちをお創りになったアッラーは慈悲深いお方です。だからこそ、キリスト教の説く原罪にどうも納得がいかなかったんです。
私は私の疑問への答えをキリスト教の中に捜し求めました。でも、いつも答えの道すら途切れて、どの答えにも辿り着くことは出来ませんでした。そこで、キリスト教内で探すのをやめて、答えを他で探し始めたんです。特別、『イスラム教』の中にその答えを探そうと思ってたわけではありませんでしたが、答えを求める過程で、自分でイスラム教にたどり着きました。そうして、アッラーの思し召しにより、イスラムに辿りつき、長年私の抱いていた全ての疑問の答えと平安をイスラムから得ることが出来たのです。
[改宗後のAmir /a.k.a.Loon]
アッラーが私の生活の全ての[ハラーム:アッラーより禁じられていること・もの]を取り去り、[ハラール:アッラーより許されていること・もの]と与えて下さいました。与えて頂いただけでなく、しっかり私は実践してます。自分の行動はもちろん、人々へは良い教えを説き、食べ物だってハラールの食品を食べています。ファンもそうです。同じ若者層ですがムスリムのブラザーズやシスターズです。だから私は今、生涯で一番たくさんの家族がいるんですよ!
ムスリムになって、アッラーが私を傷つけるようなものや場所、あらゆる危険を取り払って下さいました。
そのお陰で、私は現在、自由で平安に満ちた生活を送っています。
<Original:The Deen Show "Former Bad Boy Gone Good Boy" 2009/ ilm管理人日本語意訳>