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Yvonne`s Journey◆イギリス ダラム出身 1958年生まれ
◆英国ジャーナリスト&政治活動家 英国で数々の有名紙でジャーナリストとして活躍していたイボン。 対テロ戦争の機運が高まる2001年、パキスタンからタリバンが 制圧していたアフガニスタンへの無謀な極秘進入を試み、成功。 しかしながら、程なくタリバンに捕らえられ、スパイ容疑で実刑を 言い渡され、拘置の身に。 のち解放されたものの、そんな経験をしたにもかかわらず、 2003年にイスラムへ改宗したことが、母国英国でも大きな驚きを もって報道されたイボンの改宗。 一体何が彼女を変えたのか・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
[事件前]
あの9.11.以前の私と言えば、ちょうど英国ジャーナリズム界のPasty Stone(英国人気コメディAbsolutely Fabulousに出てくるキャラクター)みたいでした。結婚も3回しましたし、11歳になる娘もいます。ライフスタイルにしてもジャーナリストとしても凄まじかったように思います。
[とんでもない計画決心と結末]
2001年の対テロ戦争がいまや現実に迫る時期でした。当時、タリバンの支配下にあったアフガニスタンの状況を報道する為に、
アフガニスタンの女性たちが着ているブルカと呼ばれる頭からすっぽり被る服を着、正体がばれないようにして、パキスタン国境付近からアフガニスタンへと極秘侵入したんです。ですが、アフガニスタン進入後、ブルカ内に隠していたカメラをタリバン兵士のすぐ目の前で落としてしまったことがきっかけで、タリバンに正体がばれ、スパイ容疑の罪で捕らえられました。でも、それがわたしの人生を永久に大きく変える転機になったのです。
[獄中にて]
タリバン拘束中の6日間は宗教に関して話すことを避けていました。
そんなある日、彼らタリバンの中でも尊敬されている宗教家と向き合うことになったのです。「聖戦の戦隊員が来ちゃったわ・・・」、彼を見た時はそう思いました。
彼は「あなたの宗教は何ですか?」と私に聞いてきました。「英国国教会のプロテスタントです。」と答えると、ゆっくりと微笑んでこう聞いてきたんです。「イスラムについてどう思われますか?」と。その質問に「全く素晴らしい宗教だと思います。」と私が答えた時に、彼は再び微笑んで、次に思いも寄らないことを言ってきたんです。「ではイスラムに入信したいんですね?」って!
もし私が『YES』と返事をすれば、このタリバンの宗教家は私を軽率で不誠実な女と批判したでしょう。かといって、『NO』と答えれば、
彼らの信じるイスラムを冒涜したと大騒ぎになるか、投石刑の憂き目に遭ったことでしょう。
そこで、私はこう答えたんです、「親切なお申し出をありがとうございます。でも、恐らく私の人生を大きく変えてしまうような重大な決心を獄中では出来そうにありません。しかし、もしもあなた方が私を自由の身にして下さるならば、ロンドンに戻ってクルアーンを読み、イスラム教を勉強します。」と。
その約束をした4日後、連邦軍によるアフガニスタンの首都カブール爆撃がちょうど始まったタイミングにも関わらず、タリバンは私をパキスタン国境付近で釈放し、ロンドンへ戻ることが出来ました。
[釈放後:ロンドンにて]
私はあのタリバンの宗教家との約束を守り、クルアーンを読み始めました。
特に女性問題に関する箇所は全てくまなく読みました。女性への抑圧を奨励する教えがどんな風にクルアーンに書かれているのか調べてやるって気持ちだったのです。でも、驚いたことに、クルアーンには全くそんなこと書かれていなかったんです!女性を押さえつけるどころか、精神上も、価値の面でも、教育面でも男女は共に平等であるべきことがはっきりと書かれていました。さらに、女性の担う育児や出産という役割については称賛さえされていました。また西洋の女性たちがやっと100年前に手に入れた女性への財産権や相続権なども、すでにクルアーンに明確に記されていました。それはもう、女性にとっての重要な歴史的書物と言っていいでほどです。すぐにでもアフガンに戻って、私を捕まえたタリバン兵士達に「ちょっと!あなた達!クルアーンのどこを読んで来たのよ!?これ知らなかったの!?」って言ってやりたい気持ちになりました。
あるムスリム女性が言ったことをよく覚えてるんです。「イボン、イスラム教は完璧なのよ!でも、残念なことにそれを実践する人間が完璧じゃないのよ。」って。彼女は全く正しいと思います。
[講演の終わりに]
私は心からの喜びをもって皆さんに言えます。私は去年6月<※2003年6月>にイスラム教へ改宗しました。そして、この世界で一番大きなファミリーの一員に入れてもらいました。今日、皆さんの前にこうして立って、「私はムスリムです。」と言える事をとても誇りを感じます。
<Original:BBC ONE "A muslim in the the family" 2004/ ilm管理人日本語意訳※若干の箇所で他資料を参考にしてます。>
あの9.11.以前の私と言えば、ちょうど英国ジャーナリズム界のPasty Stone(英国人気コメディAbsolutely Fabulousに出てくるキャラクター)みたいでした。結婚も3回しましたし、11歳になる娘もいます。ライフスタイルにしてもジャーナリストとしても凄まじかったように思います。
[とんでもない計画決心と結末]
2001年の対テロ戦争がいまや現実に迫る時期でした。当時、タリバンの支配下にあったアフガニスタンの状況を報道する為に、
アフガニスタンの女性たちが着ているブルカと呼ばれる頭からすっぽり被る服を着、正体がばれないようにして、パキスタン国境付近からアフガニスタンへと極秘侵入したんです。ですが、アフガニスタン進入後、ブルカ内に隠していたカメラをタリバン兵士のすぐ目の前で落としてしまったことがきっかけで、タリバンに正体がばれ、スパイ容疑の罪で捕らえられました。でも、それがわたしの人生を永久に大きく変える転機になったのです。
[獄中にて]
タリバン拘束中の6日間は宗教に関して話すことを避けていました。
そんなある日、彼らタリバンの中でも尊敬されている宗教家と向き合うことになったのです。「聖戦の戦隊員が来ちゃったわ・・・」、彼を見た時はそう思いました。
彼は「あなたの宗教は何ですか?」と私に聞いてきました。「英国国教会のプロテスタントです。」と答えると、ゆっくりと微笑んでこう聞いてきたんです。「イスラムについてどう思われますか?」と。その質問に「全く素晴らしい宗教だと思います。」と私が答えた時に、彼は再び微笑んで、次に思いも寄らないことを言ってきたんです。「ではイスラムに入信したいんですね?」って!
もし私が『YES』と返事をすれば、このタリバンの宗教家は私を軽率で不誠実な女と批判したでしょう。かといって、『NO』と答えれば、
彼らの信じるイスラムを冒涜したと大騒ぎになるか、投石刑の憂き目に遭ったことでしょう。
そこで、私はこう答えたんです、「親切なお申し出をありがとうございます。でも、恐らく私の人生を大きく変えてしまうような重大な決心を獄中では出来そうにありません。しかし、もしもあなた方が私を自由の身にして下さるならば、ロンドンに戻ってクルアーンを読み、イスラム教を勉強します。」と。
その約束をした4日後、連邦軍によるアフガニスタンの首都カブール爆撃がちょうど始まったタイミングにも関わらず、タリバンは私をパキスタン国境付近で釈放し、ロンドンへ戻ることが出来ました。
[釈放後:ロンドンにて]
私はあのタリバンの宗教家との約束を守り、クルアーンを読み始めました。
特に女性問題に関する箇所は全てくまなく読みました。女性への抑圧を奨励する教えがどんな風にクルアーンに書かれているのか調べてやるって気持ちだったのです。でも、驚いたことに、クルアーンには全くそんなこと書かれていなかったんです!女性を押さえつけるどころか、精神上も、価値の面でも、教育面でも男女は共に平等であるべきことがはっきりと書かれていました。さらに、女性の担う育児や出産という役割については称賛さえされていました。また西洋の女性たちがやっと100年前に手に入れた女性への財産権や相続権なども、すでにクルアーンに明確に記されていました。それはもう、女性にとっての重要な歴史的書物と言っていいでほどです。すぐにでもアフガンに戻って、私を捕まえたタリバン兵士達に「ちょっと!あなた達!クルアーンのどこを読んで来たのよ!?これ知らなかったの!?」って言ってやりたい気持ちになりました。
あるムスリム女性が言ったことをよく覚えてるんです。「イボン、イスラム教は完璧なのよ!でも、残念なことにそれを実践する人間が完璧じゃないのよ。」って。彼女は全く正しいと思います。
[講演の終わりに]
私は心からの喜びをもって皆さんに言えます。私は去年6月<※2003年6月>にイスラム教へ改宗しました。そして、この世界で一番大きなファミリーの一員に入れてもらいました。今日、皆さんの前にこうして立って、「私はムスリムです。」と言える事をとても誇りを感じます。
<Original:BBC ONE "A muslim in the the family" 2004/ ilm管理人日本語意訳※若干の箇所で他資料を参考にしてます。>